PDF 販売書籍を買ったり、PDF を自炊していて尚更強く思ったのは、こう言った自炊 PDF・PDF販売書籍 は本来あるべき電子書籍とはやっぱ全然違うなと。epubとかもそうかもしんない。
確かに Kindle DX は紙に近い大きさ・表示と操作性(ページめくり操作)なので「書籍」のエミュレーターとしては違和感は少ないのだけど、そこで逆に思ったのだけど、わざわざ紙の本の体裁を真似るなんつうローハスな真似をしなきゃならない積極的な理由はなんだろう。無いよね。
電子媒体でまとまった情報を得るなんて言うのは、もうすでに遥か昔に通り過ぎた話で。別に「書籍」である必要なんてかけらもない。既存コンテンツとの互換性位。それにしたってPDF はともかくepub や azw はもう一度レイアウト作業をやりなおす必要がある訳で、それらについて本に似せる事にそれほど意味は無さそうに思う。
大体、何年も何年も電子書籍電子書籍とつぶやき続けて、揚句出てきた設計が紙の本をただモニターに映しただけで「できたよ!」とかキラキラした笑顔で言われても困る。
CD-ROMが世に出たころからパソコンによる電子書籍の啓蒙、普及活動を行ってきたJEPA(日本電子出版協会)の下川和男氏はこう言う。
「リフローが出来るということは、写真や図版や表も崩れるということなのです。それはHTMLで組まれたウエブページを見るのと同様です。アメリカによくあるハードカバーの書籍、あれは表も図版もないですよね? EPUBは、あれが画面上で再現できる程度の、えらく簡単なフォーマットなのです」つまり、雑誌のような段組(複数に文字や図を分けて配置する)があって、そこに写真や大小の見出しを配置してデザイン化するという雑誌には向いていない。EPUBは、あくまで書籍、新聞、論文むけのフォーマットなのだ。
「そう、皆さんEPUBが凄いフォーマットだと誤解されているんです(笑)あれで雑誌というのは無謀ですよ」(下川氏) EPUBというファイルフォーマットでは雑誌を作れない。
PC や iPhone のモニターで雑誌のアレをやりたいと思う、そういう発想があること自体、頭のねじが何本も外れていると思うのだけど、そういった強い電波を発する方でも使いたくなるような強いメタファが必要でそれが今の「電子書籍」なのかも。 ただ、強いが故にそこにすごく引っ張られる部分があって、電子書籍の先々は技術の進歩以上にそこから引き剥がす過程が無いと、デバイスもインフラも整ったうえで、電子媒体に適さないコンテンツが、いつまでーもリリースされ続けるのではないかなと思う。
現在の高度で美しく繊細な(※)印刷物デザイン技術が必須(※)だと言うのなら、そういう表示モードもあっていいし、印刷(これもデータが最適化されてないと地味に大変)を考えれば最低限必要な部分もあるとは思う(※)。けども、もっと重要な電子媒体ならではの表示・機能と言うのがまずあるはずで、そういう部分の検討をプロとしてフルタイム取ってる人々に期待したいのだけど。変かね。
※そういう事にしておく。内容以前にまずイライラする要素なんだけど。
※必須ならこんなにインターネット中毒居ないと思う。
※今更大多数が必要とする共通の用途は無いにしろ、ニッチな利用法は多いはず。 (PDF 書籍の印刷ガードに対して文房具屋は抗議すべきだよなあ)。
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本来電子書籍と言うならば、例えば図だと…
- 参照、参照て連呼しないで最初からフレームで表示
- 当然邪魔な時は消せる
- 図だけの拡大縮小
- 色弱者向けグラフの色変え
- 文中からの被参照リスト
- コピーコマンドでCSVでグラフデータ取得
とか。
例は図だけど、本文・音声・動画・その他で、実装すべき機能はたくさんある。epub, azw は中身的には xhtml みたいなモンなので、今ブラウザでできる表現は本来は全部可能なので上記やそれ以上の事も技術的には可能なのかもしれない。けど今はまだない。
MSエンカルタ(終売…)レベルは最低限。更に発展させて、その上で汎用フォーマットで、さまざまな書籍がさまざまな環境で動く状況を求めないといけない。新書と漫画がよめりゃいいって所で電子書籍万歳と言うのは多分相当微妙。
クライアント側の進化もコンテンツ側の進化も、両方まだ足りないと思うのだけど、電子書籍と言う話の割には、具体的によりよい電子書籍環境の話はあんまり聞かないなあと思う。やっぱ Kindle&ストア日本上陸以降なのかねえ。


