2009/1/1 木曜日

元旦すな

Filed under: 未分類 — staki @ 23:33:27

明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

あけおめエントリとレスの重複を含んだ応酬と言うのは筋が悪いと思うので、勝手ながらここで一括で済んだ物とさせてください。

各々にレスが必要だと言うならば、年賀状や年賀メールまで退行させたほうが宜しいのではないかと思ってるんだけど、なんか認識がおかしいだろうか?或いはもっと難しいアルゴリズムで、個人宛の挨拶と、パブリックな挨拶との両方を併用すべきなのかしら。この辺の機微がわかなんない困る。

いや挨拶と言うのはしたりされたりすると嬉しい話なので、可能な限り応酬しようぜ!っていうのも考えればわかるんだけど、応酬にも労力が必要な以上囚人のジレンマみたいな感じになるような気がしてて、なんでしょう、新時代の為の節度ある馬鹿でもわかるルールが欲しいです。

***

今年は実家はスルーの予定だったのだけど、何となく気が向いたのでチラっと顔見せに皆が居る親父の家へ。

当初早めに切り上げて美術館でも行こうと思っていたら、魅力的な晩飯の話を聞いているうちに気が変わり、結局八時位まで居座った。好物である実家雑煮と、新鮮なカンパチとアジの刺し身を久方ぶりに鼻から出そうになるまで食って大変満足した。腹が痛い。

そのついでに皆の顔を確認したり、甥っ子をいじったり、親父の趣味により何故か大画面化&地デジ対応したテレビなどを眺めたりしながら一日が終わった。

地デジ…確かに綺麗だけど、なんか動きが多いとノイズっぽくなったりして、なんか中途半端だねアレ。なんか動画ファイルっぽくてPC思い出しちゃってちょっと嫌だな。

***

この所、青潮というのがあって大変だったらしい。

親父は働くのが大好きで、昼間の仕事の後に魚連で魚を絞めるバイトをしている。上記の魚もまあそう言う流れの品物なんだけど、今年は港に「青潮」と言うものが発生したそうで、魚網のいけすの中の魚が何千と言う単位で死んだらしい。シマアジやカンパチなどの高級魚が。

よく聞く赤潮と違ってこの場合見た目には全くわからず、気付いた時には弱ってそして大量に死んで…と言う事らしく、なので損害額も大した物で保険会社の人なども来ていたとの事。気付くと普段魚網の外に居る港内の有象無象の小魚たちも全く姿を消していたそうだ。

死んだ魚自体だけでなく出荷作業にも大きな影響があったらしく、つまり港に運んできてしまうと死んでしまうので、絞め自体は別の港で(作業者が出張って)行い、その後積み込んで青潮の地区に運びなおした後、そこでまた降ろして出荷のメニューを行うというような、まあ大変だったらしい。

東京湾内では時折発生していたらしいけれど、三崎では初めての事だそうだ。

青潮というのを調べてみると、見た目に解らない…と言う事も無いようなんだけど、要は似たような物で現場ではそう呼ばれた話なんだろうかな。

18件のコメント

  1. あけおめ。ことよろ。

    >個人宛の挨拶と、パブリックな挨拶
    年賀状や年賀メール等の個人宛の挨拶がきたのであれば、返事をしたほうがいいかもね。
    あとは、任意でいいような気がする。

    コメント by DM — 2009/1/2 金曜日 @ 9:48:38

  2. >年賀状や年賀メール等の個人宛の挨拶がきたのであれば、返事をしたほうがいいかもね。

    紙媒体しか持ってない人に対する救済措置として年賀状への返信は許容範囲だけど、メールは納得が行かないな。メールの受信箱とRSSリーダーの一覧やmixiの一覧と何が違うのか。
    送信先に個人名が無ければ挨拶は無効であると言うのならば、そもそもブログで挨拶する事自体無効と言う事になるけど、そうは思わないというか。

    波風立てないために迎合するための方法って言う点では把握。

    ただ、強烈な無駄を生んでいるので、世間一般への措置はともかく、わかっている人は挨拶の重複は自粛すべきと思う。見た所、年賀状のルールとWebのコメント返しのルールが結合して見事に悪化してる。

    コメント by staki — 2009/1/2 金曜日 @ 11:59:32

  3. >メールは納得が行かない

    基本的に、ブログで挨拶する事は問題ないとは思うけど。
    ブログの存在自体知らない人&あまり見ていないって人等に見ろよってのも少々強引じゃないかね。
    ブログ等については見られているか不明なので、個人宛に来たものについて、(波風立てないってのもあるけど)一応送っておいたほうが対処としては妥当だと個人的には思うけどね。
    まぁ、重複するってのもわかるので、コメントなどで別に挨拶される等、見ているのがわかっているのであれば、放置でいいとは思うけど。

    コメント by DM — 2009/1/2 金曜日 @ 20:22:53

  4. >ブログの存在自体知らない人

    いやそれはさすがに無いよ。

    ただ、接続環境にもよるけど「あまり見ていない人」っていうのは今後に「ポストみろハゲ」って言う流れもあって良いと思う。

    >ブログ等については見られているか不明なので、

    メールにしても年賀状にしても見ないのは先方の自由で、こちらからの挨拶自体は完了してる。

    逆に相手が見ているか見ていないかが重要と言うなら葉書もメールもおかしい事になるからそれは無いんじゃないかな。

    >対処としては妥当

    なので波風立てないって以上の合理的な理由はなさそうに思うな。あるいは救済措置というか例外の補足的な措置っていう。

    因みに個別挨拶のなかで礼儀ルールでの挨拶返し以上のリプライが必要な場合は、その部分について必要に応じて返信すれば良いけど、それは挨拶返し返信とは性質が違う、通常のオンライン会話だと思ってる。

    コメント by staki — 2009/1/2 金曜日 @ 21:19:24

  5. 例えば、Aさんが声だして「あけましておめでとうございます」と地球上の皆に向けて言って、その後、当然そのことを知らないBさんがAさんに年賀状を送ったとする。
    Aさんは、Bさんの年賀状を見るか見ないかは不明。
    見ていたとしても、もう全人類に伝えるべきことは伝えたので、そこに含まれるBさんに年賀状出さないでいいなと思う。
    また、送ったBさん当人としては、届いたか届いてないかもわからないけど、Aさんに挨拶を送ったから満足してるし、挨拶返し不要という感じかね。

    なんか知らんが書いてて、ドラゴンボールの孫悟空が元気玉で『おらに元気を分けてくれっ』と言って、強制的に精気すいとられた人類みたいな構図を思いだした。
    まぁ、年末年始の挨拶は、もともと儀礼的な行為やら意味合いしかないのと思うので、返信するしないは勝手だし、相手から返信してこなくたって問題は無いかもしれないけど…知ってしまった上で返信出さないのは、なんか人としての間がなさすぎると思うけどね。
    あと、「ポストみろハゲ」って言う流れは、なかなか周囲の理解を得るのは、難しいんじゃないかね、永遠の課題となると思うな…限定的になら可能ではあるだろうけど。

    コメント by DM — 2009/1/2 金曜日 @ 23:13:15

  6. >という感じかね。

    地球に声で挨拶したらそりゃ「当然そのことを知らないBさん」になるのは当然なんだけど、この場合は違う。
    「ブログ」と言うと解りにくいならば、mixi 日記とマイミクで考えてもらえれば。ブログの場合も URL を知らせた後であれば、地球に向けて挨拶したのとは違って、受け手の方に取捨選択の自由がある。この点通常のブログもmixi日記と変わらない。違うのは一覧画面がどのURLで出るかとかどのアプリに表示されるかってだけで。

    >まぁ、年末年始の挨拶は、もともと儀礼的な行為やら意味合いしかないのと思うので、返信するしないは勝手だし、相手から返信してこなくたって問題は無い

    いや、儀礼的な行為だから「問題」なんでしょ。失礼と受け取られたされかねない訳だけど、此方としては一切そう言った批判を受ける言われは無いと解釈してる。年賀状を出したのと等価と考えてる。(年賀状は双方で出した場合「返事」は無い)

    >なんか人としての間がなさすぎる

    いや、なんか話題があれば話続けても良いとは思うけど、mixi日記とコメントの関係みたいにレスしないと完了しないと言うのは違うレベルで。

    >あと、「ポストみろハゲ」って言う流れは、なかなか周囲の理解を得るのは、難しいんじゃないかね

    年寄りはどうでも良いとして、同年代でそれじゃ困るな。挨拶のルールが適用されるならば失礼になる筈だし要求して良い筈。

    コメント by staki — 2009/1/3 土曜日 @ 0:03:54

  7. >違うのは一覧画面がどのURLで出るかとかどのアプリに表示

    「ブログ」、「mixi日記」にしろ読み手側の取捨選択があるからと言って、教えれば事が全て済むというのはおかしいと思うな。読み手側が読むか不明な点では、地球に言っているのとそう変わらないと思う。
    記憶し読ませることが出きる言った意味では異なってくるかもしれないけど…とりあえず、挨拶はいちいち行わないけど一括で済んだものとして「見た人はこれで勘弁してね」って程度にしか使えないと思う。
    情報の拡散させる媒体なので、使い方は間違ってはいないし、その使い道はありだと思うけど。
    年賀状と等価だといわれると、はなはだ疑問だな。

    上記を踏まえ、メール等の個別の対処はしなくて良いのかって話なると、別の対処が必要ではないのでは?
    例えば、直接挨拶を書かなくても、これから年末年始の挨拶はブログに書いてあるので読んでねと返信を書く程度の誘導等を行わなくてはいけないのでは…とか。

    >問題は無い
    語弊を生んでいる書き方だけど、「儀礼的なものが好きではない」や「相手がどう思おうと知ったこっちゃない」等と考える人には特に問題はないと感じるはず。多くの人は必要と感じる思うだろうけど…。

    コメント by DM — 2009/1/3 土曜日 @ 2:26:09

  8. >「ブログ」、「mixi日記」にしろ読み手側の取捨選択があるからと言って、教えれば事が全て済むというのはおかしいと思うな。読み手側が読むか不明な点では、地球に言っているのとそう変わらないと思う。

    全く同意出来ない。更新検知手段がしっかりしている以上地球と変わらないってのは無い。少なくとも公開範囲が広いメールと同等の機能はある。

    >年賀状と等価だといわれると、はなはだ疑問だな。

    なるほど。mixi やブログは年賀状より劣る挨拶な訳ね。旧来の常識だと年賀状が年賀の挨拶の必須条件のはずだから、正式な挨拶にはならないと。逆に年賀の挨拶の必要条件とその根拠が知りたい。

    自分としてはやりとりが十分可能な道具であれば道具は問わないと思ってるし、宛名も関係無い話と思ってる。

    >例えば、直接挨拶を書かなくても、これから年末年始の挨拶はブログに書いてあるので読んでねと返信を書く程度の誘導等を行わなくてはいけないのでは…とか。

    移行期間や救済措置ににはそういうのはあって良いとは思う。
    けど、年賀の挨拶の条件云々の話さえ存在しないのならば、非インターネット向けには紙で従来どおり送ってれば、こっちはこっちで自然に受け取れる訳だからその必要すらなくなる。

    >多くの人は必要と感じる思うだろうけど…。

    個人的にどうかじゃなくて社会的にどうかの話だから。

    コメント by staki — 2009/1/3 土曜日 @ 2:57:30

  9. >地球に挨拶
    更新検知手段がしっかりしていようがいまいが、ブログやmixi等を見にいって確認するのは、読み手側の判断にかかると思うけど。読み手側が見るか見ないか不明であり、読み手側が確認しない限り挨拶されたかわからない点では、地球に挨拶をするのとほぼ一緒だと思うけどね。まったく一緒といっているわけでは当然無い。

    >劣る挨拶
    劣るという発言は、煽っているのか知らないけど語弊があるね。
    読まれれば一緒ではあるけど、読まれるという信頼性についてブログやmixiは低いと思う。
    そのかわり多くの人に、認知してもらう手段としてはよいけど…。
    年賀状やメールは、読まれるという意味では、ある程度信頼性が高いはず。

    年賀状やメールを送ってきた相手に、ブログ等のコメントで挨拶がされていれば確認できているし、儀礼上の双方のやりとりは完結しているので問題はないけど。
    個別に来たものに対しての対処に関しては、確認したという信頼性が低いし、完結できていないと思えば送ったほうが妥当な対処ではないかね。
    で、個別に来たものに対して、「年末年始の挨拶はブログに今後書くと宣言」してメール等送れば、相手も納得するかは不明として、今後の対応についても完結はするはず。

    最初から言っている挨拶の応酬(重複)は必要ないとは思うけど。

    コメント by DM — 2009/1/3 土曜日 @ 11:03:09

  10. ああ、年賀状とブログの優劣の話は結局、現状を踏まえての運用回避的な話?救済措置や例外処理が必要だっていうのは認識済み。

    こちらとしてはブログが年賀状よりも「格式」が劣っていて「正式な挨拶」として認識されないなら困ると言う事が主に言いたかったのでそれが無いなら最低限それでいいよ。

    ただ

    >読まれるという信頼性についてブログやmixiは低いと思う。

    この辺りの認識は差がありそうだけどまあ生活習慣の違いからくる認識の差なんだろうし、過去は兎も角未来はその認識も収束する一方だろうから今埋めようとも思わないし埋め様もなさそうね。

    多分世間との認識の差もこの辺りがありそうだけど、それも同様に今後(十年とかの単位で)の話が主眼だったので。(何せ対象は「習慣」とか「マナー」とかの話だし今すぐ変わるとは思ってなくて、ただ一票入れるのは何処が良いかと探していたので。)

    コメント by staki — 2009/1/3 土曜日 @ 13:18:31

  11. >ブログが年賀状よりも「格式」が劣っていて「正式な挨拶」として認識されないなら困ると言う事

    格式については特に言ってるつもりは無かったな。最初からブログでいいんじゃないといっていたはずだし。
    もともと、2あたりに書いてあったメールの受信箱とRSSリーダーの一覧やmixiの一覧と何が違うのかって話題について書いてた。
    10年単位先の将来でも、相手に見てもらうという行為は、個別に送らない限り、見るほうの人の意思によるものなのでなかなか難しいと思う。常に例外的処置が発生するはず。
    まぁ、ブログ等に投稿したエントリを、読んで欲しい相手先にメールとか流したりとかすれば、少しは話変わってくるんだろけど。

    インターネットのようなものが、たかが数十年で爆発的に普及したように、今後、十年でどんなサービスが出るかわからないから本当のところはわからんけどね。

    コメント by DM — 2009/1/3 土曜日 @ 16:19:03

  12. 自ブログで挨拶を載せる以外にメールとかmixiとかTwitterとかで返事しなきゃいけないのがウザイとしても、それ「悪化」とまで言えるものなのかなと思った。年賀状と比べての話。
    金も手間暇(ハガキ発注だの文面デザインだの宛名書きだの…)も、わざわざそのために郵便屋が大忙しという社会的無駄という面からも、まずは年賀状廃止の一点で全勢力を結集すべきだと思うんだが。

    コメント by 匡樹 — 2009/1/3 土曜日 @ 21:00:56

  13. >悪化
    送信文字数が増えてるっていうのは冗談半分としても、回数が増える分、純粋な挨拶にまつわる精神エネルギーは増えてると思ったんだよなあ。

    手間暇と相殺っていう考えは確かにだけど、電子化してるのにインパクトが減らないって言うのは納得行かなくてね。

    手間暇と虚礼の精神的苦痛っていうは結構いい勝負だし、手間は手際で駆逐可能だから標的を紙年賀状にしなかったんだけど、結局本丸は同じ層かもなあと思わなくも無いので年賀状撲滅ってことでいいかなあ。

    #グリーティングカード好きが悲しい顔しそうなのが気になるけど

    コメント by staki — 2009/1/3 土曜日 @ 22:09:06

  14. ネット上でのあけおめメッセージについて言えば、正月三が日あたり(いや元旦だけでもいいかも?)にネットに現れないようにすれば、全面省略かせいぜい返信だけで回避できて楽かもとか思った。
    要は、元日だと言うだけで枕詞のようにあけおめ言わにゃいかんのがダルいだけのことじゃね?みたいな。
    メールで挨拶する場合でも、一括送信or返信で済ませるなら年賀状と精神エネルギーは変わらない(物理的な手間や金がかからない分負担軽減)訳で。

    >手間暇と相殺
    >手間暇と虚礼の精神的苦痛っていうは結構いい勝負

    いや、相殺にもなんにもなってなくて、
    年賀状=手間暇たんまり+虚礼たっぷり+金
    メールで挨拶=少しの手間暇+少しの虚礼
    ブログで挨拶=最小限の手間暇+最小限の虚礼
    で年賀状>>>>(超えられない壁)>>>>>メール等>>>ブログ等だと思うわけだが。

    >手間は手際で駆逐可能
    >#グリーティングカード好きが悲しい顔しそうなのが気になるけど

    そっち方面には気を遣いつつ、メールとかで挨拶するのはウザイというのは心底理解できん訳だが…要するに、
    「新年の挨拶という因習をうまく活用して、クリエイティビティやソツのなさや社会性を発揮するのはOK」
    「IT使って能率よく済まそうとするなら、最高の能率で済ませないとNG」
    ということかしら。

    もしそうなら、年賀状という因習に対してITで能率化を!という点での共闘は成立しなくて、なんちゃってはてサとしては、誰もついてこなくても因習そのものの否定まで突き進まざるを得なくてちょっと寂しい罠。
    まぁ、今年はもう終わったしどうでもいい話ではあるけど。

    コメント by 匡樹 — 2009/1/3 土曜日 @ 23:03:07

  15. >ネットに現れないようにすれば、全面省略かせいぜい返信だけで回避できて楽かもとか思った。

    それだと年賀の挨拶を欠いた事になって因習により罪とされるんじゃんて言う。
    紙年賀とかメールとか言う手間食う遺物に関わりたくないけど失礼扱いは心外ですかなみたいな。
    #んなもん気にするのがアレだって糾弾されそうだけど

    >年賀状>>>>(超えられない壁)>>>>>メール等>>>ブログ等だと思うわけだが。

    あーそうそう、理想はそう。
    今現在だとリプライの輻輳があって、結構な精神的負担になるかなと思ってて、この分で電子化のメリットが相殺されてるねって言う現状の話で。

    >「新年の挨拶という因習をうまく活用して、クリエイティビティやソツのなさや社会性を発揮するのはOK」
    >「IT使って能率よく済まそうとするなら、最高の能率で済ませないとNG」
    >ということかしら。

    そんな感じで近いかも。でも上の項目は「お菓子作りが趣味の人」程度の頻度で考えてたからなあ。ソツのなさや社会性ってのは特に撲滅せんとゲームになっちゃうしダメなのは把握。

    「ITで能率化を!」ってやって今の mixi になっちゃうなら足りないかなあ…。IT年賀の地位向上のための紙年賀弾圧は賛成だけど。

    >まぁ、今年はもう終わったしどうでもいい話ではあるけど。

    来年の元旦は黙ってここのコメ蘭貼ろうかなとか考えてたw

    コメント by staki — 2009/1/3 土曜日 @ 23:50:24

  16. >それだと年賀の挨拶を欠いた事になって因習により罪とされるんじゃ

    いや、Web界隈ではそんなに因習めいた理由で挨拶しているというより、なんか元旦で居合わせたもん同士知らん振りもなんだしみたいなアレで挨拶交わしてるのかなと思ってた。自分がTwitterとmixiでしか挨拶しなかったからかも知れんけど。

    >あーそうそう、理想はそう。

    先の不等号は手間暇や精神的苦痛の大きさを表したつもりだったけど、その理解でOK?

    >ソツのなさや社会性ってのは特に撲滅せんとゲームになっちゃうしダメなのは把握。

    それならまぁOK。実は意図的にクリエイティビティと混ぜて書いてみたw

    >来年の元旦は黙ってここのコメ蘭貼ろうかなとか

    いや、クリスマス中止キャンペーンくらいの勢いで年賀状廃止キャンペーン張らんとw12月上旬くらいから。

    コメント by 匡樹 — 2009/1/4 日曜日 @ 0:28:08

  17. >いや、Web界隈ではそんなに因習めいた理由で挨拶しているというより、

    そんな物かな。なんだかんだ年賀にレスしない人への悪印象ってのはありそう(だなと思ったんだけど。なんぞ踏み逃げ禁止みたいな不慣れな層とか中心にして。

    この踏み逃げ禁止みたいな事言ってるのも十代ケータイ世代だけじゃなくて、案外高年齢層が厄介と言う話も何度か出てるし。mixi とか身内の誰がそう言う価値観と繋がってるか解ったもんじゃないなとか。

    >実は意図的にクリエイティビティと混ぜて書いてみたw

    まあ知ってたw

    >いや、クリスマス中止キャンペーンくらいの勢いで年賀状廃止キャンペーン張らんとw12月上旬くらいから。

    なんか今思ったけど友達居ない人っぽいなあ…

    コメント by staki — 2009/1/4 日曜日 @ 11:16:51

  18. >踏み逃げ禁止

    まぁ、そういう界隈にはそういう界隈なりの個別挨拶で満足してもらって…w

    >今思ったけど友達居ない人っぽいなあ…

    普通に非コミュだからねぇ。
    # つか、非モテはネタとして普通にありっぽいけど、非コミュネタは通用範囲が限られそうなのは何故なんだぜ?

    コメント by 匡樹 — 2009/1/4 日曜日 @ 13:16:29

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