前回からの連想。公共の乗り物で誰かを支える話で思い出した十代の頃の話。
バイトの帰り横須賀中央のバス停で、太った婆さんが押し込まれるようにバスに乗ってきた。婆さんは座っていた俺の脇まで流されてきて、こちらに倒れないように無理して掴まり立ちの爪先立ち。俺の前まで婆さんの太った体がせり出してるような状況。
可哀想なので席を譲ろうと思っても、既に混み過ぎて全く身動きが取れない。仕方が無いので『ばあちゃん危ないから俺の膝に座っちゃいなよ』と声を掛けた。当然遠慮する訳だけど『良いから良いから。席変わってあげたいけどもう無理だし、危ないから』等と言うと、じゃあ失礼して…と言う感じで座ってくれた。
かなり年寄りなんだけど、体重は 70 キロ位あったんじゃなかろうか。俺の膝に座ると、重いんだけど重いくせに肉の張りが無く、膝と言うか腿と言うかが小麦粉を練った物に包まれるような、そして、年寄り特有の少しザラザラする洋服の生地の感触が合わさって、とても不思議な感触だった。
こっちは一向に気にしないのだけど、やっぱり気まずいんだろか、世間話をしだした。内容はあまり覚えていないが、婆さんは俺の事を「旦那」と呼び、語尾が「でさあ」だった。座る時も「じゃあ、お言葉に甘えて、失礼さして頂きゃあす」と言うような発音。
不思議な言葉づかいなので何処の生まれかと聞いたら、我が町横須賀なのだそうだ。曰く、色々な人が居るが下町の当時の人間にしては特別珍しくないと言うような話だった。
横須賀の下町と言うと、上町の反対の下町と言うのが一般的であろうと思うので、平坂麓から本町~米が浜~安浦辺りだろうか?まあ漠然としてても面白いので良く聞かなかった。地域クラスタではなく下町”的”と言う意味合いなのかもしれない。もしそうなると人…とか人種のクラスタか。
終バスだったので、こんな夜遅くまでアンタみたいな婆さんが何をしていたのかと聞いてみた所、床屋の勤め人なのだそうだ。歳は 70 前後だったと思う。そんな老人がこんな夜遅くまで通いで床屋とは大変だと言うと「あっしぁ一人身なもんで、働かねえと食ってけねえんで仕方ねんでさ」と、若干これが自分の生き方だっぽい雰囲気を醸しながら、気持ちよく発音していた。
膝に座ったまま世間話をして北武のバス停まで。北武のバス停は沢山人が降りるので、ばあさんは空いた座席へ移っていってしまった。竹川だったかで先に下りた婆さんは、バスの外から俺に向かってヘコヘコとしたお辞儀をしていた。
それからも何度か見かけたことはあったが、会話圏内になく自分も良い事した照れくささもあり、会話と言う会話はそれが最後だった。また顔をみたいが、今はもう生きているかどうか。あれより年長だった筈の長井のバス停のタバコ屋婆さんが生きているので(志村けんの「とんでもねえあたしゃ神様だよ」状態だけど)、なんとかまだ頑張っているかもしれない。
キャラもライフスタイルも興味深いけど、なによりあの肉の感触と胸の前にあるボリュームのある丸い老体が非常に印象的で、ああ言う動物が居たら飼いたいなと思う。(おい)
それ以降、何度かパンダやクマの世話をする夢を見たことがあるけど、肉の感触はアレだった。



スゴイ体験だね。北武懐かしい。高校時代を思い出す。
コメント by ポタト — 2008/11/19 水曜日 @ 14:55:14
おー、長いけどちょっとは伝わったろうかねえ。まこと不思議な体験でしたよ。
>北武懐かしい。
俺も書いてて懐かしかった。
コメント by staki — 2008/11/20 木曜日 @ 1:39:42
北武って、そんなに降りる人多かったっけ?
漏れの場合、山科台ができる前の記憶がほとんどなせいかもしれんけど。
コメント by 匡樹 — 2008/11/23 日曜日 @ 19:11:16
当時山科台はもう人が入ってた筈だからそのせいかな?
井戸店 -> 城址 -> 北武でようやく乗車率がマトモになるからって言う、そういう感覚での記憶だからかもしれないね。純粋に下車数で言うと、その他のバス停も結構降りるから(金子以外)特別多いと言うとナニかも。
まあ空席期待が出来る程度の下車数だったのは多分当たってるとは思う。
コメント by staki — 2008/11/23 日曜日 @ 22:08:23